日本大学の理事長に就任した、林真理子さん!
2018年のNHK大河ドラマ「西郷どん!」の原作者としても有名です。
今回は、林真理子さんの経歴や生い立ち、若い頃の画像などをwiki風にまとめました。
林真理子さんのプロフィール
まずは、林真理子さんの2022年現在のプロフィールを見てみましょう。

氏名 林真理子(本名)
生年月日 1954年4月1日
出身地 山梨県山梨市
趣味 料理・オペラ鑑賞・歌舞伎鑑賞・食べ歩き
特技 日本舞踊(藤間流名取)
所属 有限会社林真理子企画事務所代表取締役
日本文藝家協会理事長
日本ペンクラブ会員
学校法人日本大学理事長
選考委員 直木賞
講談社エッセイ賞
吉川英治文学賞
中央公論文芸賞
毎日出版文化賞
日本を代表する、大人気女流作家さんですね!
名だたる賞の選考委員や、文芸家協会の理事長なども務めており、有識者として、新元号「令和」の制定にも携わっています。
林真理子の経歴
つぎに、林真理子さんの生い立ちや経歴について見てみましょう。
林真理子さんの生い立ち
幼少期の林真理子さんは、お母さんの影響を大きく受けているそうです。
林真理子さんのお母さんは、当時の女性としては珍しく、大学を卒業し、教師をしたあと出版社に勤務するなど、とても優秀で、教養が深かったようです。
そのお母さんから、出版社に務めていたときの写真を見せられ、言われた言葉に衝撃を受けたそうです。
私らの時代は十の努力しても戦争のせいで三しか狙えないけど、あんたらの時代は二十でも三十でも狙えるよ。
このときに、林真理子さんは、人生の無常を感じたそうです。

中学時代はあまり成績も良くなく、良い思い出は無かったようですが、猛勉強をして、高校は山梨県立日川高等学校に進学します。

高校では、人気者となり、信じられないくらい楽しい学校生活を送ったそうです。
その後、大学は、日本大学へ進学します。
コピーライターとして糸井重里氏に師事
就職活動では、出版社を希望していましたが、40社以上の会社を受けてすべて不採用。2年間アルバイトをしながら、4枚40円の食パンで食いつなぐ、極貧生活をしていたそうです。
その後、当時花形の職業と言われていたコピーライターになろうと決意し、糸井重里さんに師事します。
1981年には、「つくりながら、つくろいながら、くつろいでいる。」という広告コピーで新人賞を受賞しますが、糸井重里さんからは、「コピーライターには向いていない」と言われてしまいました。
コピーライターは100のものを1にする仕事だが、林さんは1のものを100にするほうが得意だから

処女作が100万部のベストセラー
コピーライターに向いていないと言われてしまった林さんですが、1982年にエッセイ「ルンルンを買っておうちに帰ろう」を出版します。
ここで、作家としての才能が花開きます。
処女作がいきなり100万部を超えるベストセラーになりました!
処女作の成功がきっかけとなり作家として生きていくことを決意した林さんは、1983年に4冊、1984年に8冊、1985年に5冊と、怒涛のペースで著書を出版していきます。
1984年の処女小説「星影のステラ」が、直木賞候補に選出され、これを機に、執筆業に専念するようになりました。
そして、1986年には「最終便に間に合えば」「京都まで」で直木賞を受賞します。

華々しい受賞歴
その後の林真理子さんの作家人生は、華々しいもので、すばらしい受賞歴を誇っています。
年 | 賞 | 作品 |
1986年 | 第94回直木賞 | 最終便に間に合えば、京都まで |
1995年 | 第8回柴田錬三郎賞 | 白蓮れんれん |
1998年 | 第32回吉川英治文学賞 | みんなの秘密 |
2013年 | 第20回島清恋愛文学賞 | アスクレピオスの愛人 |
そして、2018年には、芸術や学術で業績の著しい人に国家から授与される、「紫綬褒章」を受章されました。
また、2020年には、文芸・映画など様々な文化分野において業績をあげた個人や団体を表彰する「菊池寛賞」も受賞し、まさに、文芸家として高みに上り詰めた存在となりました。
他にも、2020年には、「同一雑誌におけるエッセイの最多掲載回数」としてギネス世界記認定されています。

まとめ:林真理子のwiki風経歴!生い立ちや若い頃の仕事を調査
いかがでしたでしょうか?
今回は、林真理子さんの生い立ちや経歴を調査しました。
若い頃は糸井重里さんに師事していたのですね!