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スポーツ

【wiki】堀池巧の経歴や学歴は!?出身高校や大学、選手時代から現在まで徹底調査

現順天堂大学蹴球部監督の堀池巧氏にパワハラ疑惑が浮上しています。

堀池巧氏は、元日本代表の名DFとして活躍したエリート選手です。

堀池巧氏がどんな選手だったのか、学歴や経歴を調査しました。

堀池巧の現在

堀池巧氏は、現在、順天堂大学スポーツ健康科学部准教授であり、同大学の蹴球部(サッカー部)の監督を務めています。

2014年4月から監督を務めており、強豪校として優秀な成績を収めています。

主な戦績
  • 総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント【準優勝】(2016年)
  • 関東1部リーグ【準優勝】(2017年)
  • アミノバイタルカップ【優勝】(2017年)
  • 大学選手権大会【ベスト4】(2018年)

また、日本代表の旗手怜央選手など、多数のプロサッカー選手も輩出しています。

堀池巧の学歴

出身高校は静岡県立清水東高校

堀池巧氏の出身高校は、静岡県立清水東高校です。

全国高校サッカー選手権6回出場、全国優勝1回の名門強豪校です。また、インターハイには9回出場し、4回もの優勝実績があります。

内田篤人選手、武田修宏選手、相馬直樹選手、高原直泰選手といった、かつての日本代表を支えた面々が名を連ねています。

出身大学は順天堂大学

堀池巧氏の出身大学は、順天堂大学です。

堀池氏が在学していた1983年から1987年の間に、全日本大学サッカー選手権大会優勝、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント優勝、関東大学サッカーリーグ準優勝、といった華々しい実績を残しています。

堀池巧の経歴

清水FC時代

少年時代は、全国的な強豪チーム清水FCに所属し、全日本少年サッカー大会優勝を経験しています。

後に「清水東三羽烏」と呼ばれるようになる、大榎克己選手、長谷川健太選手とは、清水FC時代からのチームメイトだったようです。

少年時代のポジションは、右ウイングでした。

静岡県立清水東高校時代

清水県立清水東高校では、大榎克己選手、長谷川健太選手と堀池巧氏で、「清水東三羽烏」と呼ばれ、1982年には全国高校選手権優勝を経験しています。翌年も準優勝をするなど、この3人がいたときのチームは常に全国上位を争っていました。

堀池氏は、高校時代にジュニアユース日本代表に選出され、このとき、右ウイングから右サイドバックにコンバートされています。

順天堂大学時代

順天堂大学時代も、順調に実績を重ね、常に全国上位を争う成績を残しています。大学時代に、日本代表に選出され、その後日本代表のサイドバックとしての地位を確立しています。

読売クラブ時代

大学卒業後は、読売クラブ(現東京ヴェルディ)に所属します。入団初年度から活躍し、1988年~1992年にかけて、4年連続でベストイレブンに選出されました。

大学時代から引き続き日本代表に選出されています。

清水エスパルス時代

Jリーグ発足に伴い、1992年に清水エスパルスに移籍しました。大榎克己選手、長谷川健太選手も合流し、「清水東三羽烏」が再結集し、Jリーグ創世記を盛り上げました。初年度に、ベストイレブンに選出されています。

日本代表としては、1993年にW杯最終予選でドーハの悲劇を経験したメンバーです。

晩年は出場機会に恵まれず、1998年9月にセレッソ大阪に期限付き移籍しますが、1999年10月に清水エスパルス復帰。しかし、1999年に現役を引退しました。

現役引退後は、2003年まで清水エスパルスの取締役を務め、チームに助言を行っています。

解説者時代

引退後はサッカー解説者として活躍されています。2002年から2010年までテレビ番組「やべっちFC~日本サッカー応援宣言~」のコメンテーターとしてレギュラー出演をしていました。

また、人気サッカーゲーム「FIFAワールドクラスサッカー」に、シリーズ13~16まで解説者として登場しています。

また、2013年には、JFA公認S級コーチに認定されています。

順天堂大学時代

JFA公認S級コーチに認定されると、2014年4月から順天堂大学スポーツ健康科学部准教授になり、同大学蹴球部の監督に就任しました。

以降、現在まで、優れた成績を残しつつ、選手の育成に尽力してきています。

まとめ:【wiki】堀池巧の経歴や学歴は!?出身高校や大学、選手時代から現在まで徹底調査

堀池巧氏の経歴や学歴をまとめました。

堀池巧氏は少年時代から、類まれなサッカー選手として、エリート街道をひた走ってきた選手でした。

サッカー解説者としても、指導者としても順風満帆だったように思います。

パワハラ疑惑が浮上していますが、選手としてはとても実績のある御方でした。