「教授」の愛称で親しまれた、世界的音楽家の坂本龍一さん。
坂本龍一さんといえば、YMOや音楽プロデューサーとして世界的に有名ですが、どのような凄さがあるのでしょうか。
経歴や受賞歴を振り返り、坂本龍一さんの音楽性の高さを振り返ってみました。
YMOでテクノポップブームを席巻
1978年に細野晴臣さん、高橋幸宏さんと「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)を結成しました。
1980年代初頭に、テクノポップやニュー・ウェイブのムーブメントを巻き起こしました。
シンセサイザーやコンピューターを駆使した当時としては斬新な音楽で、国内を席巻し、国外でも爆発的な人気を博しました。
デビュー曲、「テクノポリス」で脚光を集め、「ライディーン」で大ブレイクをしています。
「テクノポリス」は、富士フィルムのカセットテープのCMで採用されています。
坂本龍一さんが「単に売れる曲を書いてやろうと思って」と言って作曲した曲です。
「ライディーン」はYMOの躍進を決定づけた大ヒットナンバーです。
後に数々のミュージシャンがカバーをする名曲となりました。
タイトルの由来は、江戸時代の力士「雷電爲右エ門」からはじめは「雷電」とつけられていました。
当時アメリカで「勇者ライディーン」というアニメが流行っており、それにならって「ライディーン」となりました。
シンセサイザーを取り入れた音楽と、コンピュータープログラムによる自動演奏を取り入れたのは当時としては革新的でした。
その音楽性の高さから、世界での評価が高く、結成の翌年にはワールドツアーを行い、世界中でヒット。
日本では逆輸入する形でヒットする形となりました。
YMOの影響や「テクノカット」という髪型など、ファッション分野にも影響を及ぼし、社会現象にまでなるほどでした。
映画界での躍進~世界的音楽プデューサーに
YMOの活動後期から、坂本龍一さんは、俳優業を行うようになります。
1983年公開の日米合作映画「戦場のメリークリスマス」では、俳優として出演するとともに、音楽プロデューサーを務めます。
音楽が高く評価され、アカデミー賞作曲賞を日本人で初めて受賞しました。
この楽曲は、坂本龍一さんの代名詞とも言える名曲で、「聴いたことがない人がいない」くらい有名な楽曲となりました。
さらに、1987年公開の「ラスト・エンペラー」では、「グラミー賞(映画・テレビサウンドトラック部門)」「ゴールデングローブ賞作曲賞」「アカデミー作曲賞」等を受賞しました。
テクノポップで一世風靡した坂本龍一さんですが、これによって世界の作曲家として名を馳せることになりました。
1990年代前半まで映画音楽の分野で活躍をされ、世界で「坂本龍一」の名を知らない人はいない存在となりました。
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数々の受賞歴
その後は、YMO再結成や数々のミュージシャンの音楽プロデュースなどを行い、精力的に活動をしています。
社会活動家としても活動し、地雷除去運動のチャリティー曲「ZERO LANDMINE
」をリリースしています。
さらに、芸術面では各国の政府から数々の勲章が授与されています。
- 2002年 ブラジル政府から「国家勲章」授与
- 2009年 フラン政府から「芸術文化賞」授与
- 2010年 文化庁から「文部科学大臣賞(大衆芸能部門)」授与
- 2012年 アジア太平洋映画賞から「国際映画製作者連盟賞」受賞
- 2013年 米バークレー大学日本研究センターから「バークレー日本賞」授与
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まとめ:【天才】坂本龍一の凄さとは?経歴や受賞歴を振り返る
今回は、坂本龍一さんの凄さにせまりました。
YMOの頃から、斬新で革新的なアイディアで世界を魅了していたことがわかりました。
また、映画音楽のプロデュースでは、作曲家としての実力を遺憾なく発揮していたことがわかりました。