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Seiho(セイホー)のwiki経歴!本名や国籍は?中学・高校・大学と音楽づけ!

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2020年東京パラリンピックの音楽プロデューサーをつとめ、三浦大知さんやサカナクションといった有名アーティストのプロデュースも手掛けるSeiho氏。

世界が注目する音楽プロデューサーSeihoの経歴や背景を調査しました。

Seihoのプロフィール:本名や国籍は?

別名早川 聖朋(はやかわ せいほう)
生年1987年
職業音楽プロデューサー、DJ
所属ソニー・ミュージックパブリッシング
出身大阪府大阪市旭区千林
wikipediaより

wikipedeaによると、別名「早川聖朋」と表記されていました。おそらく本名なのではないかと予想されます。

生まれも育ちも大阪府で、現在の活動の拠点も関西のようです。

Seihoさんは、主に音楽プロデューサーとして活躍しており、三浦大知、矢野顕子、CHARA、YUKI、サカナクションといった有名アーティストのプロデュースを手掛けています。

Amazon Musicのシリーズ「PRODUCERS」の第1段のプロデューサーとしても起用されている、世界的な音楽プロデューサーです。

小学生時代:ギターを始める

Seihoさんの小学生時代は、普通の小学生。

一人で遊ぶよりも友達と遊ぶほうが好きで、ゲームやドッヂボールなどをして遊んでいたそうです。

小学生のときは、文化系でも体育会系でも
ヤンキーでもなく、どこにも属してない存在でした。
でも一匹狼みたいな感じでもなく、面白い人、
みたいな立ち位置でみんなそれぞれと遊んでましたね。

「Seihoインタビュー」HOBO NIKKAN SHINBUN

音楽を始めたきっかけは、小学校4年生の時にギターを買ってもらったことのようです。

ギター

また、4年生のときにPCも買ってもらい、後にそのPCを使って音楽制作をすることになるようです。

親の趣味でジャズとかディスコミュージックが家で
よく流れてたので聴いてた環境がありました。
そして小学4年生のときにギターを買ってもらったことが
音楽にはまるきっかけかもしれないですね。

「Seihoインタビュー」HOBO NIKKAN SHINBUN

親がジャズやディスコミュージックを家でかけているのも、なかなかない環境ですよね。

ギターは習っていたようで、中学生になってからも続けていたそうです。

中学生時代:吹奏楽部でトロンボーン

中学生になると、行動が音楽中心になってきています。

ギターは続けており、バンド活動を始めたそうです。

また、部活動は吹奏楽部に所属し、トロンボーンを演奏していたとのこと。

トロンボーン

いたって普通の「音楽が好きな少年」ですね^^

ギターは楽器屋の張り紙やネットの
バンド募集をみて学校以外の人ともバンドを組んだり、
トロンボーンも地域のジャズバンドに入って、
そこでも演奏したりして、
社交的に色んな人と演奏してましたね。

「Seihoインタビュー」HOBO NIKKAN SHINBUN

積極的にいろいろな人と音楽で関わるあたり、行動力がすごいですね。

また、パソコンで携帯電話の着メロなども作っていたようですね。

携帯電話

中学生の時から海外の人と
音楽の情報交換をしたりしてました。
他にも、当時は着メロをネットで発表する場もあって、
パソコンで譜面を引いて
着メロを自分で作って投稿したりもしてました。

「Seihoインタビュー」HOBO NIKKAN SHINBUN

この時から、現在の電子音楽制作をはじめていたようです。

高校生時代:電子音楽の世界へ

高校生になると、作曲をするようになります。

高校卒業の頃には、作る曲はすべて電子音楽になっていたそうです。

転機は高校生の時、「青木孝允さんと半野義弘さんの音楽を聴いた時」だったようです。

高1か高2のときに
青木孝允さんと半野義弘さんの音楽を聴いた時に、
自分の中ですごい衝撃があったんですよ。

「Seihoインタビュー」HOBO NIKKAN SHINBUN

この時から、作る曲の方向性が決まってきたようですね。

電子音楽

大学時代:自主CD制作

大学性になると、音楽制作に没頭していくようになります。

20歳の頃に、成人祝でもらったお金をすべてプレス台にして、自主制作CD「サカサマノモリ」を制作。

CDサカサマノモリ

その後は、毎月1枚CDを作っていたそうです。

毎月1枚CDを作って大学の先輩に配ったりしてました。
学生当時はお金がなくて大変だったので、
飲み会代を自分のCDを売って稼いだりしてました(笑)

「Seihoインタビュー」HOBO NIKKAN SHINBUN

なんと、このCD、大学内で販売許可が出て、大学内の丸善で販売していたそうです!

また、この頃に、DJとしての活動も開始しています。

大学卒業後:レコードレーベル設立

大学卒業後は、レコードレーベル「デイ・トリッパー・レコーズ」を設立し、音楽プロデューサーやDJとして活躍されています。

2013年には、ピッチフォーク・メディアで、「近年の日本において最もエキサイティングな音楽のいくつかを作っている」と評されました。

さらに、東京2020パラリンピック開会式の楽曲を担当したり、三浦大知、矢野顕子、CHARA、YUKI、サカナクションといった有名アーティストのプロデュースなども手掛けています。

まとめ:Seiho(セイホー)のwiki経歴!本名や国籍は?中学・高校・大学と音楽づけ!

音楽プロデューサーSeihoさんの経歴をまとめました。

小学生の頃からギターをはじめ、学生時代から音楽づけだったようですね。

バンドをやったり、吹奏楽部に所属したりと、一見「普通の学生」のようですが、やはり少し人とは違う感性や行動が見え隠れしていました。